みなさん。こんにちはブタノです!
今回は、我らガナーズを退団した闘将。
【グラニトジャカ】を紹介します。
ドイツの王者『バイエルン』を破り、23-24シーズンにブンデスリーガの頂点に立った『バイエル・レバークーゼン』。
23-24シーズンに衝撃をもたらしたレバークーゼンは、最強の指揮者『シャビ・アロンソ』の哲学を叩き込まれた、最強の選手たちで”文句なしのスカット”を揃え、優勝に値する活躍でしたね。
シャビ・アロンソのあまりにも出来過ぎたこの結果に、評価は爆上がりする中で今季からアーセナルから加入したこの漢もまたリーグ優勝に一役二役買ってくれました。
その漢とは?
『グラニト・ジャカ』
今年31歳を迎えたジャカは、いよいよベテランの域に到達。チームの精神的支柱として
リーグ優勝に大きく貢献しました。プレミアリーグBIG6アーセナルで7年間培ったサッカー技術をレバークーゼンでも惜しげなく発揮しチームに勢いをつけてくれました。
今回は、そんな『グラニト・ジャカ』の紹介記事となります。
22-23シーズンはプレミアリーグBIG6『アーセナル』でスタメンとしてボランチを勤めていたジャカは、サッカー選手として、特別なにか秀でる才能がある訳ではありませんが、すべてのポテンシャルが平均を凌駕し、『影の潰し屋』として、闘争心あふれる選手でした。
中盤でボールを奪い前を向き、チームに反撃の狼煙を上げることができ、アーセナルの心臓的役割も担っていました。
MF、DFとしてフィジカルの強さを活かしたプレーが得意ですが、イエローカードをもらうこともしばしば。
荒っぽい性格もまた、敵との衝突を生みトラブルメーカーとしてハラハラするシーンもあります。
アーセナルとは2024年夏までの契約。延長となるか退団となるか?ガナーズ一同、彼の残留を願っていた人も少なくないと思います。長らく過ごしたアーセナルに別れを決意し退団となってしまいました。
アーセナルは、『ヤングガナーズ』として、20代後半からの選手をあまりスカットに揃えない傾向にあり、ジャカは30歳という年齢ということもあり放出にいたったのでしょうか?
ジャカが抜けた穴をイングランド代表MFデクランライスで埋めることに成功したアーセナルでしたが、ジャカの闘争心やリーダーシップもまた見れないと思うと少し心寂しいところでもありますね。
アーセナルでの物語は終焉を迎え、新天地に選んだのは、かつてプレイ経験のあるドイツ、ブンデスリーガ。
シャビ・アロンソを指揮官に迎え、リーグ制覇を目指すレバークーゼンでは、アーセナルと同様、チームのかじ取り役を任されました。
目立ったプレイはないが、彼の存在は大きく、パスの総本数はチーム最多を記録しました。
またそのうち40パーセントはボールロストのリスクのある前方への強気のパス。
そんなパスの成功率もまた、MFの中では93%とまるでゲームのような記録をたたき出しています。
そんなプレーこそ『ゲームメイク』といえるでしょう。
彼のパスから攻撃が始まり、チャンスが生まれ、若くポテンシャルのある前衛人がゴールを量産。理想的なスタイルを確立。
中盤デュエル勝率も56%と高く、チームでは絶対に替えの利かない選手として影の主役なのはまちがいないでしょう。
驚いたのは、かつて所属したボルシアMGでは5回の退場処分。アーセナルでも7回も退場しているジャカですが、そんな『退場王』の姿はレバークーゼンでは無く、
30歳を過ぎた今、感情をもコントロールしベテランの域で新たなサッカーキャリアを形成しているようにも見えます。
レバークーゼンでは5年契約を結んでおり、来期もまた強気のサッカーを見れることに期待したいです。
1992年、スイスで産まれたジャカは、2000年(8歳)に、地元のユースチーム、FCコンコルディア・バーゼルでキャリアをスタートさせます。
2002年(10歳)の頃には、FCバーゼルに移籍し、2010年(18歳)でトップチームに昇格。CL予選で出場の機会がありプロデビューを飾りました。
同試合でプロ初ゴールを飾り華々しいプロサッカーキャリアをスタートさせたジャカは、2012年(20歳)にスイスからドイツに更なるキャリアアップを果たします。
ボルシアMGといえば、スカウトに長けており、若く才能のある選手を各国から収集するのがうまいクラブチームでもあり、名のある選手たちのクラブ経歴を辿れば、ボルシアMGでの修行期間を経ている選手も多いのです。
そんなクラブチームに移籍をしたジャカは、ドイツで2年の修行をします。ボランチ、DFと幅広く器用な立ち回りでチームの穴を補強。ここでもやはり替えの利かない選手でした。
功をそうしてか新たに声がかかったのはイングランド、プレミアリーグの名門『アーセナル』。
当時から若くして闘争心あふれ、リーダーシップを張れるジャカをアーセナルは欲したのでした。アーセナルに移籍したジャカには中途半端なプレイはなく、気持ち負けしないそのスタイルは周りを鼓舞(伝染)し、当時尻下がりしていくリーグ戦終盤も持ちこたえることができたのでした。
16-17シーズン(24歳)から22-23シーズン(30歳)までの約7年間在籍したジャカは、アーセナル中盤の顔としてチームを牽引した一人。
22-23シーズン、最後のアーセナルのシーズンでは7ゴール7アシストとアーセナルでの個人成績を大きく更新し、放出するにはもったいなく思ったのはブタノだけではないはず。
そしてドイツの地に戻り輝かしいリーグ優勝というタイトルに恵まれるのです。
レバークーゼンでジャカに求められたのはやはりボランチとしての潰しや。そして前線へボールを補給するお仕事。
汗かき役として誰にもまねできない献身的なプレーでチームを支えたのです。
おそらく、レバークーゼンでサッカーキャリアを終わらせる可能性もあるジャカですが、アーセナル放出時の22-23シーズンは自己記録を大きく更新しています。まさに全盛期といえるほど良い成績を叩き出していたのです。
毎年1ゴール2アシストくらいの成績にとどまっていたものの、22-23シーズンはアーセナルで『7ゴール7アシスト』!をボランチというポジションで記録したのです。
また、リーグ戦38試合中37試合に出場をし、大きな怪我もなく、パフォーマンスやコンディションなども安定していたのも22-23シーズンでした。
更には、イエローカードを毎年10枚近く貰い、レッドカードによる退場も珍しくないジャカは、22-23シーズンに限ってはイエローカードは平均程度の5枚。また、レッドカードは0枚と、かつて荒れてたジャカは落ち着きを手にし、精神的にも成熟していたと言えるのです。
ジェズスの好調や、サカの進化。ウーデゴールの覚醒や、ライスの台頭、トロサールの決定力に冨安の競り合い、ベンホワイトの運動力、エンケティアのハットトリックなどなど。
トピックスが止まらないアーセナルでしたが、闘将ジャカもそんな中、静かに牙を研いでいたのでした。
最期までご覧いただきありがとうございました。
今回は、グラニトジャカ選手の記事を書かせていただきました。
レバークーゼンでの契約は5年間(36歳までの契約です)。これからはレバークーゼンでの輝かしい活躍とリーグ戦2連覇と更なるタイトル獲得に向けて頑張ってほしいところです。
元アーセナルの選手として陰ながら応援しています。
それでは次の記事でお会いしましょう!
それでは。
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